次に、英語の学習方針の問題について考えてみましょう。現代の英語教育では、「英語を読む」=「日本語に訳す」と捉える傾向があります。
私は中学・高校ともに公立校に通っていましたが、学校の英語指導は「英語の長文を大量に読ませる」ことが重視され、英語の基礎知識の指導はほとんど行われませんでした。ここでいう英語の基礎知識とは、単なる四択の文法問題を解くための知識ではなく、文章を正しく理解するために必要なものです。
英語を読む際に、日本語に訳してから理解しようとすると、次の三つの問題が発生します。
2. 英語の語順で理解する習慣が身につかない
3. 同じ訳語を持つ単語を、同じ意味だと誤解してしまう
もちろん、日本語を母語とする人が英語学習の初期段階で日本語を介して理解すること自体は問題ではありませんし、むしろ必要な過程でしょう。しかし、英語と日本語の意味の切り分け方は必ずしも一致しません。そのため、日本語だけでなく、英語そのものの文脈や、ジェスチャー・実物を用いた理解も重要になります。
英単語を日本語に訳す場合、適切な訳語は一つとは限りません。例えば、
• It has been three years since he passed away.
• He died three years ago.
どちらも「彼は3年前に亡くなった」という意味ですが、時制や用法の違いによって表現のニュアンスが異なります。このような違いを理解せずに単に訳語だけを覚えると、英語本来の意味を正しく把握できなくなります。
ここまで課題が明確であるにもかかわらず、英語教育の形が変わらないのはなぜでしょうか。私はその要因として、
• 集団授業の限界
の二つを挙げたいと思います。
まず、教師に十分な知識や指導力がなければ、当然ながら効果的な指導はできません。次に、集団授業の限界について考えてみましょう。
講師1人に対して生徒30人という環境を想像してみてください。どれほど優れた指導力を持つ講師であっても、全員と十分なコミュニケーションを取ることは物理的に不可能です。その結果、講義は「知識の一方的な押し付け」になりがちです。
生徒一人ひとりが疑問に思うポイントは異なります。しかし、集団授業では個別の疑問を解決する時間が確保できず、不明点を抱えたまま次の内容に進んでしまいます。こうした状況が続くと、生徒は次第に「分かったふりをする」か「諦める」かのどちらかを選ぶようになります。これが、俗にいう「働きアリの法則」(集団の中で2:6:2に分かれる現象)を生み出す原因の一つだと考えます。
確かに、相対評価の仕組み上、このような分布になりやすいのは事実です。しかし、教育の在り方を工夫すれば、全体のレベルを底上げし、各グループ間の差を緩和することは十分に可能だと考えています。
なので、誤解しないでいただきたいのは、集団授業そのものが悪いわけではないということです。学習法や基礎知識がしっかり確立されている状態であれば、集団授業は効果的に機能します。学習の土台ができていない状態で一方的に授業を進めることが問題なのです。
