コミュニケーション

 
さて、⑴〜⑶まで「芸術」について長々と書いてきました。私は「芸術」を「言葉で言い表せない「何か」を表現しているもの」と捉えています。しかし、⑴〜⑶までのすべての考えに全面的に賛同してくださる方は、ごく少数でしょう。なぜなら、「芸術」という同じ対象について語るとしても、一人ひとりの価値観や視点は、生きてきた過程の違いによって異なっており、全く同じ結論に至ることはまずないからです。

活動を始めて間もない頃、ある芸術家の方と対話の機会をいただき、「コミュニケーション」という言葉の定義について一緒に考える時間を持ちました。以下は、その経験の中で私が得た気づきであり、伝えたいことです。

コミュニケーションとは
1. 構築する
2. 分解する
3. 考察する
4. 再構築する

 
どういう意味か。私たちは、経験を通じて得た価値観や視点をただ持っているだけでは不安定で、それらを言動として結びつけることで、ようやくある種の「安定」を得ているのだと考えます。これが①「構築する」という段階です。

しかし、多くの大人たちは、ここまでを「コミュニケーション」だと捉えているのではないでしょうか。すなわち、自らの価値観を構築し、それを言葉にして伝えること。それ自体は重要な行為です。ただし、先述した通り、価値観とは人によって異なるものです。同じ対象について語ったとしても、構築されたものが異なる以上、それをそのままぶつけ合えば、ただの「主張の押し付け合い」になってしまいます。

本当のコミュニケーションとは、そこで終わるのではなく、自らが構築した価値観をいったん②「分解する」必要があります。相手の視点に寄り添いながら、いったん自分の前提をほどいてみる。その上で、得てきた価値観や視点を③「考察」し、相手との対話を通じて、より深く再認識する。そして最後に、今の自分としての理解に基づき、④「再構築する」ことが求められます。

私たちは「文化的体験」や「教養のある大人との対話の機会」を大切にしていますが、そこに関わるのは多様な背景をもった人々です。このような「対話=コミュニケーション」の在り方を理解し、実践してこそ、真の意味での「好奇心」や「胸の高鳴り」は生まれるのではないでしょうか。

⑴〜⑶まで読んでくださった皆さんの中で、もし今後私と直接お会いする機会があり、「芸術」について話してみたいと思っていただけたなら、私はここで述べたコミュニケーションの定義を意識して、対話をさせていただきます。

このように、自問しながら、そして出会いや機会に感謝しながら活動を続けていくことこそが、慣れから生じる「飽き」へのささやかな抵抗になるのだとも感じています。

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