私は、芸術は役に立たないものであると思っています。オスカー・ワイルドも「ドリアングレイの肖像」序文で以下のように書いています。
All art is absolutely useless
— Oscar Wilde
因みに、この序文は「芸術家は美しいものを創造する。芸術に形を与え、その創造主を隠すのが芸術の意図である。」と始まります。すると、①美しいとは何か? ②芸術家は美しいもの以外は創造しないのか? ③芸術は美しくなければいけないのか?等という、複数の難問が生まれてしまうので、今回は上記の一文だけ取り上げることにします。
芸術は役に立たないものでなければいけない理由は、芸術は「言葉で表し得ないものを表現する」からです。
芸術に何らかの、言葉で表現できるメッセージを持たせてしまうと、その途端にそれは芸術では無く、広告やプロパガンダに成り下がってしまいます。有用性のあるものになるからです。ある作品に思想や主義が全面的に押し出されてしまうと、それは私が考えるところでは芸術とは言えないのです。(この考え方は現代の色んな人を敵に回す発言かもしれませんが、ここはあくまで私個人の考えを、好き勝手に述べる場なのでご理解ください。)
目の前で病気で苦しむ人がいたとします。医者なら薬を出したり、治療をしたりしてその人の命を救うことができるかもしれません。でも、芸術家には何ができるでしょうか。命を救うための実践的なこと、すなわち「言葉で表し得ること」は特にできないでしょう。しかし、それが芸術家の仕事なのです。特に何か言葉で表し得る役に立つことをしないことこそが、芸術家を芸術家たらしめるのです。
しかし、芸術家に主義や思想があるのは当然のことです。芸術家たるもの浮世とは完全に己を隔離して隠居せよ、等と言いたい訳では決してありません。芸術家も1人の人間なので、程度の差はあれど、各々が世の中の色々なことに対しての意見を持ち合わせています。ただ、それを全面的に作品に押し出してしまうと、それは形が違うだけで選挙演説やデモのプラカードと何ら変わりが無いのでは、と私は思うのです。
と、色々と書きましたが、私の考え方は19世紀の芸術至上主義者のそれです。21世紀の資本主義社会には全く相容れないかと思います。そもそも、西洋の芸術には長らく、国家や国教のために奉仕するという因習的な役割もあったので、一概に「芸術は役にたたないもの」であるべきだと言い切れません。
